恋する髪の毛 vol.5 人生を変えるヘアカット
前回のコラムでロングヘアは
切るタイミングがわからないと
書いたばかりですが、
つい先日、特に理由もなく、
ばっさりと髪を切ってみました。
私から切り離された
髪の毛の長さは20センチ。
年数にして、1年半分。
周りに失恋や、
心境の変化を疑われましたが、
特に何の理由もなく、
あえていうなら時が来たから切りました。
朝起きて、突然「今日髪の毛を切らないと
死ぬかもしれない」ばりに髪の毛が
いらないものに思えてきて、その勢いで、
美容院に電話をして、午後にパツン。
自分でも唐突な性格だと思いますが、
髪の毛を切ることごときに覚悟や理由が
いるようにも思えません。
髪の毛なんて気分のこと。
それでいいんだと思います。
切ってすぐは違和感を感じていた髪も、
数時間たてば、まるで何年もこの髪型
だったかのような馴染みっぷり。
記憶なんて曖昧です。
視覚よりも、触覚のほうが
記憶を保存するチカラがあるのか、
髪の毛を洗った時の違和感は数日間続きました。
でも、
地肌に指が強くあたる感じも、
たれてきた髪の毛を
かきあげる軽やかさも、
今まで、そうじゃなかったのが
惜しいくらいに馴染みまくって、
昔の自分はどこかに置いてきた
みたいな気持ちになりました。
そして、人ってこんな風に簡単に
生まれ変われるんだという感動が発生。
人生が変わることって、
そうそうありません。
結婚、出産、大恋愛…
そういうビッグイベントも
節目節目にはあるでしょうが、
そういうのって、
自ら起こすというよりは
いろいろタイミングが重なって、
ご縁で、自分にふっと降りてくる
ようなものな気がします。
そういう不確かなものではなく、
自分の手で何かを変えたいと思った時に
髪の毛を切るというのはいい手段ではないでしょうか。
こんなにも確実に、
新しい気持ちになれることはそうそうない。
確かに、こんなことで人生なんて
変わらないという説もあります。
でも、じゃあ、なんだったら変わるのか。
宝くじが当たる日は待てないし、
東京で白馬の王子様は見たことなんてないし。
毎日がハリウッド映画みたいな人なんていません。
どんな立場でも、
どんなにいい生活でも、
それが日常になれば
それが誰かの特別であったって、
本人にとっては普通の、平凡な毎日です。
だからこそ、少しのことで人生は変わると
信じたもの勝ちではないでしょうか。
実際、
大胆なイメージチェンジをはかると、
運気の方角も変わる感じがします。
年末に髪の毛を切るとその一年にたまった
邪気が取っ払われるというけれど私は、
根こそぎ、取っ払った感じがしています。
新しい年は、絶対に今まで以上に
進化する年になることでしょう。
(髪の毛を切るという行為は、
こんなにも気分を前向きにしてくれるのです!)